失敗脳の恐怖

この仕事をしていると、教育脳、すなわち何を見ても聞いても「これを授業に使えるかな、どう使おうかな」と考えてしまう、というのはよく聞くところだし、またわたし自身もそうです。

ところが最近はその先、「これを授業で使って、ところが来なくなっちゃった学生、来てても分からなかった学生は、どうしよう」というのが気になるようになりました。

最近の大学では、「来なくなった学生」「単位を落としまくってる学生」の世話までしなくちゃならないのですよ。理屈としては、「入学させたからには、責任をもって単位を取らせ、卒業させる責任がある」というところでしょうか。まあまったく根も葉もないとはいわないまでも、そんなこといわれてもなあとは思うところです。

じゃあもうテストが零点でも授業に1回も出なくても単位出せばいいじゃねえか、別にそれでこっちが損するわけじゃないし、とはけっこう本気で思うところなのですが、それはさすがにだし、また一方で単位の厳格化もいわれるところです。授業にちゃんと出るだけじゃなく、事前事後学習もきちんとやるのが前提。だから90分の授業で2単位なんだよ、と。


という八方ふさがりな現状ゆえに、「授業に来なくなった学生・テストができなかった学生」の後処理までクヨクヨ考える羽目になるのでした。そもそもこんなんで、大学教育のお題目である「学生の自主性」なんて育つわけねーじゃん、という正論は、通じないのでしょう。