PDCA化する社会

いろんな場面で、PDCAサイクルという言葉、聞くようになりました。

社会人何とか力みたいなのでも、「PDCAを回せる人材」とか、よくいわれます。

学生向けのセミナー、あるいは授業でも、これをメインにやるやつ、けっこうあります。用紙を配って、「これに自分のPDCA、それぞれ記入しろ」とやらせる。

ものすごく悪いことではないとは、思います。


ただこれ、底なし沼なんですよね。ゴールがない。

永遠に、いつまでも、回し/回り続けなければならない。死ぬまで。

いやーしんどいですよね。しんどくないですかね。

現状に満足してはダメ、常に努力し続ける、って、一見美しいし、またすごいなあとは思うものの、じゃあおまえもやれといわれると、ねえ。

オレもうここでいいっす、というのがダメ、といわれると。


話はやや飛んで、最近の大学の改革と称するものも、そうなんですよね。

永遠に変わり続けることを求められる。「まあ、こんなとこかな」というのが、許されない。

そんなの無理だよーという指令が来て、必死の思いでやって、提出すると、「ふん、できたか。じゃあ次はこれだ」と、前回の1.5倍の課題が課せられる、みたいなイメージ。


「常に努力し続けること」を強要される社会。しんどいですね。PDCAにS(sleep)でも混ぜたい気分です。