空中の戦い

昨日は「うちの大学でやっているいろんな授業改善の取り組みに対する、外部の人の評価」というのがありました。オレも、役目柄参加。

「外部の人」というのは、教育コンサルタント、みたいな感じの人。

どんな分野でもコンサルってこういう方々なのかとも思いますが、まあ、自信満々に「問題点」を抉りだし、的確な改善法を指摘する。


もちろん、ためになる部分もあったのではありますが、オレ的には、むしろますますモヤがかかってきた感さえありました。


そもそも根本的な問題として、教育に関しては、「何を最終的な目標にするか」が、まったく明確ではない、ということが挙げられます。


一般企業なら、目標は「利益を上げる」こと、この一点です。疑問の余地はない。仮にコンサルが「社員全員が生き生きとした会社にするべきだ」「そのためにはオフィスに緑を増やしましょう」とアドバイスしたとしても、それはべつに「社員に良い環境を与えること」が最終目標なのでは決してない、すべて、「利益を上げるため」の手段に他なりません。

ところがこと教育になると、その最終目標が、まったく判然としない。「良い学生を育てる」だとしても、そもそも「良い学生」ってなに?という、哲学的議論から始めなくてはなりません。
また、当然ながら、学生は一人一人違う。その「最終到達点」だってさまざまです。みんながみんな「世界で活躍する存在」にならなければならないわけではないし、起業しなきゃならんわけでもない(いやいや、これからの社会ではみんな世界で活躍しなきゃならないんだ、という主張はありだとはいえ)。


なので、「教員の授業力を上げる」というのも、結局のところ何を基準に計るのかが、曖昧というかバラバラ。「分かりやすい」授業なのか、「学生の就職率を上げる」授業なのか、「分かる人にだけ分かる」授業なのか、「学生が楽しい」授業なのか。これが(たぶん)高校までなら「テストでよりよい成績を取らせる」授業=良い授業、なんでしょうが、大学でさすがに「今回のテストはみんな出来が良かった、だからオレの授業は素晴らしい」なんて喜んでいたらちょっとマズイでしょう(テストの出来がまったく関係ない、というわけではないにしろ)。


結局、議論がどこまで行っても空中戦なんですよね。もちろん、空中戦の議論に意味がなくはないと思いますが、教育に関してはどちらかというとミクロな方に興味があるオレとしては、ややしんどかった。繰り返すけど、ためにはなりましたけど。