相も変わらず

いちおうこの業界では有名な人なので、読んでみました。


世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット

世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット


ま、どうせこんなもんだろうとは思っていましたが。


いや、彼、本当に有名人なんですよ。実際、UCLAにバークレイ、コロンビア、ハーバード、ベルリン、ボローニャ、ハイデルベルグ等々各大学で客員教授なんかを歴任してきた凄まじい経歴の持ち主です。去年の今ごろ、剽窃騒ぎでミソをつけましたが。あれ、あの件、けっきょくどうなったんですかね?


決して中国に閉じこもっているわけではない、海外との交流もイヤというほど行っている知識人が、結局こういう、政府・党の公式見解そのまましか言えないって、それ、海外に行く意味/呼ぶ意味、あったんですかね?と皮肉の一つもいいたくなります。


海外の「中国を見る目」はすべてオリエンタリズムであり(ちなみにこれに関しては、サイードも、オールマイティな武器を与えてしまったもんですね)、誰も「本当の中国」を見ていない。チベットのことだって、中国を批判する人はみんな、西側メディアの偏向報道しか情報ないくせに。何を偉そうに語ってやがる。ってことですかね言いたいのは。

西側メディアが偏向報道なのはいいとして、自分が情報を得ている中国メディアが偏向報道でないというその根拠はどこにあるんでしょう。あるいは、「チベットについて語れるのは、他ならぬオレ(たち)なのだ」という自信は、どこから湧いてくるんでしょう。もうちょっと謙虚になって、チベットに住む人たちの声に耳を傾けても、いいと思うのだけど。

さすがにこんな人に、偉そうに沖縄について語ってほしくはない、とは思いますね。もちろんオレ自身も、沖縄について何か論じる資格などないですけど。


ここから見て取れるのは、中国の(一部の?)知識人の、「“中国”のことは、オレら中国人にしか語る権利はない」という、強烈な自負心というかプライドというか、です。じゃあべつに外国行って現地の価値観と交流する必要ないじゃん。まあ、そういう中国知識人の立場を「宣伝」に行く、という効果はあるのかな。


まあ中国人知識人がこういう立場なのはいいとして、愕然とするのは、こういう知識人のお説を、日本の(一部)知識人がありがたく拝聴している、ように思えることです。「中国人知識人はこういうスタンスだ。だから我々も覚悟して中国と向き合わねばならない」というのなら、まだわかりますし、日本に紹介する意味はあるでしょう。でも、後書き見ても、どうもそれに「乗って」いるようにしか見えん。なにそれ?


どうせこうだろう、とは思っていたとはいえ、こうやって現実を突きつけられると、ちょっともう脱力というか諦めというか、まあ好きにしてください、という気分になりました。