悪魔との取引

最近、大学教育関係では、口を開けば「学長のリーダーシップ」がいわれます。

教授会の機能を廃止、もしくは制限しろ。大きなことは全て学長や理事会が決めるので、ヒラの教員はそれを元に細かなことを決めればいい。

なんだかなあ、と思います。それと同じ口で「主体性を持って考えられる学生を育てろ」とかいうわけですから、まったく意味不明。教える方が「お前らはいわれたことだけやってりゃいい」といわれているのに、主体性を持った学生など育てられるわけないじゃないっすか(まあだから、彼らのいう「主体性云々」が、実際には「(大人の)手のひらの上での主体性」であることがよくわかるわけです)。

とはいえ、一方で思うのですが、「いわれたことだけやってりゃいい」というのも、ありかもな、と。

そうすれば、会議の時間も減って、研究の時間が増える。教育にかける時間も、増える。そんなに悪くないかも。

実際、中国の大学なんかは完全にそうです。ヒラの教員はひたすら教えて、研究する。会議なんて月1回あるかどうか。


今の日本の大学では、教員は、あれもこれも抱え込みすぎだと、よくいわれます。それは事務方が機械的に処理すればいいんじゃね?みたいなことも、教員がやる。入試なんてそうですよね。学生のケアも。「授業に出ない学生に教員が電話する」なんて、世界広といえども日本の大学ぐらいじゃないですかね?(なお、私の勤務校では、そこまではいっていません。事務方がしてくれます。)

教員は「教えて、研究する」ことだけに専念できるなら、大学の自治なんてどうでもいいや。


という悪魔との取引に応じるべきか。私だったら…もう少し、考えてみます。