専門性の有無

今日はFD(研修)。3つのポリシー(DP、AP、CP。わからない方はググってみてください)に関するもの。

講師がなかなか明晰な方で、たいへんわかりやすく、勉強になりました。私が出たFDの中でもベスト3には入ります。

しかし聞いているうちに、複雑な気分にもなりました。


ポリシー云々とは、要は「それぞれの科目が何を教えるものかを明確にしろ」というものです。

教員それぞれが好き勝手に科目を作って教えるのではなく、きちんと体系化しろ。そして中身も一定の基準に沿ったものにしろ。

それは、ひとまずはわかります。


しかしそうなると、今度は「すべての科目に教科書を作れ」という風になるし、事実ゆっくりではありますが、そう動いています。オレみたいにテキスト使わず好きなように教えるのではなく、中国文学史であれば全国統一テキストを使え、という風に。

これもこれで、わかります。


でもそれは一方で、研究上の個性は殺しますよね。研究ってこれまでのモノを超えるからこそ意義があるのに、今までの研究を教えて、何の意味があるのか。特に私のように、既存の研究を鼻で笑うような芸風の人間にとっては、死活問題です。

もちろん、研究と教育は分ければいい、とはいえます。教育はとりあえず今までの通説を教え、研究は別に自分でやる。


でもそれは今度は、教員の個性を殺しますよね。せっかく尖がった研究者に習うのに、習う内容が今までの通説じゃ、あんまり意味がない。


などなどと思うのです。