同調圧力

夫婦別姓をダメだというのって、同調圧力以外の何物でもないですよね。

別にお前らに「名字を変えるな」と強制してるわけじゃないんだから、他人がどうしようがかまわんじゃないか。好きにさせろよ。と思う人が多い反面、「いやいや、みんなが変えてるんだから」というのが理由になると思っている人もいる。

「日本社会では」と強調していいのかは微妙ですが、こういう傾向があるのは、確かでしょうね。でも「別姓が当たり前」になれば、空気が逆にころっと変わって、「名字を変えるなんて、おかしい」「変えないべき」になるのも早いと思います。オレが死ぬ頃にはそうなってるんじゃないでしょうかね。


この同調圧力、もちろんおかしいと思うものの、一方で、このおかげで助かることも非常に多い、のも事実です。

たとえば。ふだん授業をやってて。うちの大学の学生、根が真面目なのが多いのも確かですが、授業をやっているうちに、「この授業は、少なくとも外面だけは真面目にやっているそぶりを見せないとヤバい」という空気が醸成されてくるの、わかるんですよね。
たまに不真面目な発表をするやつがいると、緊張した空気が広がるのもわかる。

講義も、一番最初に「教室の出入りは最小限に。トイレはかまわんが、携帯とかもってのほか」とかなりきつめに言っています。実際出入りするやつは少ない。で、空気を読まず出たり入ったりするやつがいると、これまた緊張が走る。

同調圧力様々です。


でもこれ、オレの(内面はスカスカですが)外見がやや強面だから上手くいってるようなものの、逆もあり得ます。つまり、「この授業は真面目に聞かないのが空気なんだ」とわかると、とたんにめちゃくちゃになる。というのもあり得る。


でも、いうまでもなく、日本社会が相対的に秩序だっているのが、同調圧力のおかげであることも、また事実でしょう。その辺、上手い具合のバランスがとれればいいのでしょうが。