名目

国立大学を3グレードに分ける、みたいな記事が出てますね。

世界的な研究/それなりの研究/研究はしなくていいから地域貢献、みたいな3種類。

そういう考えは、まあアリだとは思います。


しかし日本社会の特徴って、よくも悪くも、「(名目では)ハッキリとは分けない」というところにあったように思います。

典型的なのは仕事。ジョブ型とメンバーシップ型ということばにあるように、日本の場合は後者で、「あなたはこの仕事をやれ(他はやらなくていい)」というのがない。曖昧な形ですべてを任される、というのが特徴。

大学なんかもそうだったと思うのですよね。そういうのは分けず、名目だけでもすべてが「ミニ東大」である、というのが、特徴だった。私の勤務校のOBから聞いたことがあるのですが、その人が受けた最初の授業で、「キミたちは、これまでの学力では東大生に敵わないかもしれない。しかし私が今から教える物理学は、東大で東大生が習うものとまったく同じだ」といわれて、ものすごく感動した、と。


「名目」って、それなりに重要なんじゃないかと思います。もちろん昔だって、大学は偏差値ではっきり輪切りにされていましたが、でも「だからお前らは研究しなくていい」とは、いわれなかった。やることは東大も、地方の名もない大学も、同じ。という名目がそれなりに作用していた。


その名目を取り払って、「あ、キミは研究しなくていいから、地域貢献しなさい」といわれた学生が、はたしてどうなるのか。

わかりません。それはそれで成り立つのかもしれないし、若者も「したくもない勉強より、地域貢献の方がずっといい」と思うのかもしれないし。その「結果」が出るのは、私が死ぬころ、ですかね。