進化論の恐怖

今日は外に出ていたのですがそのお供にこの本を。なかなか面白かったです。


理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ

理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ


これを読んで思いましたが、我々の脳内に最も強烈に植え付けられた「外来思想」は、間違いなく(広い意味での)進化論でしょうね。

我々は、「強い者は栄え、弱い者は滅びる」と、ほぼ無条件で思っているし、しかもそれを日常生活にまで援用させています。一番分かりやすいのは商売。あるお店が潰れたら「それはその店が弱かった・ダメだったからだ」と考える。競争・淘汰の結果生き残った店は、「いい店・優れた店だ」となるわけです。「優勝劣敗」が頭に染みついている。

人間にも当てはめます。たくさん稼ぐ人間はいい人間。稼がない人間はダメな人間。そう考える。


とかいうともちろん反論はくるでしょう。「そういう考えはおかしい、間違っている、それこそネオコンの思想だ」と。

ただそれでも、こうした「脳内進化論」を完全に排除するのは、難しいでしょう。例えば我々の同業者で上記のように「反優勝劣敗」思想を唱える人は結構いそうですが、そういう人が研究者業界内部の「優勝劣敗」、すなわち「いい論文を書いた人間が研究者として生き残り、ダメなら淘汰される」という(進化論的)システムに反対する、というのは、あんまり聞いたことがありません。というかそもそも、研究者システム自体が、進化論的システムを前提に構築されているのでしょうが。


この本を読めば読むほど、我々の脳内は、もやはそれなしで思考するのが考えられないほど、進化論に浸食され尽くしているというのがよく分かりました。あんたすごいよ、ダーウィン(というよりスペンサーか)。