何を読むか

ブログやツイッターを見ていると、明らかにおかしい人、外した意見を書いている人、いるわけです。

で、そういう人たちが全然本を読んでいなかったり勉強していないかというと、そうでもない場合もあるんですよね。本をいっぱい読んで勉強しているであろう人がおかしい場合も、珍しくない。大学の先生なんて、そうですよね。たぶん一般人よりは勉強しているであろうのに、おかしなことを書く人、いっぱいいます。

「立派な人になるには、本を読んで勉強しろ」というのは、もちろんアリです。しかしそれだけではダメで、「何を読むか」が大事になる、ということなんでしょう。

でもそうなるととたんに難しくなりますよね。量の問題なら「一日1冊は本を読め」といって済みますが、何を読むかまで管理しなければとなると。「まずはこれを読んで、次にこれを読んで」といちいち指示しなきゃならないのか。

しかも「誰が指示をするか」も重要ですよね。上記のような「おかしい人」が「これを読め」と指示し、それをいう通りに読んだら、その人のようにおかしくなってしまう可能性も高い。

その「おかしい」という基準もねえ。「オレはおかしいんだ」と自分で思っている人、まずいないわけですよ。とくに勉強すればするほど、そういう「自覚」はなくなっていく。オレだってそう。なんだかんだで自分を「おかしい人」とは思っていないのですが、誰かに「deseanの意見はおかしい」「あいつはおかしい」「だからあいつのいうことなんか無視しろ」といわれても、返す言葉はなかなかありません。

仮に無垢な若者がオレのいった通りに本を読んで、オレみたいな考えの人間になったとして、「ほら、あいつはdeseanのいう通りにしたからdeseanみたくおかしなヤツになっちゃった」といわれる可能性は、全然ゼロじゃありません。


なので最近、「学生に読ませたい本」みたいなのを書くの、あんまり気が進まないんですよね。「読みたい本を好きに読めばいい」見たいに突き放す、のもなんか責任逃れみたいだし、人畜無害な本を選んでいます。