中国の大学生

今日はこちらの本を。



旧知の仲の城山さんの力作。たいへん面白かったです。とくにエピローグは必見。


この本の本格的な講評もどこかでやってみたいところですが、ここではちょっとズレた(わけでもないかな)ところから。


同書の第4章、1930年代に活躍した中国のモダニズム作家・穆時英の小説「南北極」と「黒旋風」を紹介した部分。

[「南北極」の主人公が]人力車夫をしている時の出来事である。厳しい暑さの中、学生風の客がやってくる。「小獅子[主人公]」は、暑さに加えて、客の態度の大きさに苛立ち、人力車の梶棒を地面に叩き付けてしまう。その結果、客は外に飛び出してしまい、怒って余所へ行こうとする。その客の態度に対して、彼は次のような行動を取る。

逃がすわけないやんけ? すぐに追っかけて捕まえたったわ。ほんだらあいつはしょうなくなったんか知らんけど、キレて、こっちグワッて睨んでポケットから金だして投げつけよんねん。それで俺は放したったんや。あんときゃホンマにうれしかったなあ。殿様になったみたいやった。気分がすーっとしたもん。あのガキをほうったったんやで。ハハハ!

[「黒旋風」の主人公は]「小獅子」の性格にも似て、「義侠心」に篤く、兄貴分を敬愛してやまない。その一方で、学生に対しては、「だからな、うっとこのもんはな、煙草屋のほかはみんな学生ってもんを嫌っとんねん」と忌避し、「悪者」と見なしている。「黒旋風」は、あたかも「水滸伝」の豪傑のように、荒っぽくも「義侠心」に基づいて行動しているのである。


城山氏のいきいきとした関西弁訳によってより生々しさが増していますね。穆時英は、実はこの時大学を卒業したばかりなのですが、ここで穆は、中国「庶民」の「学生嫌い」を、登場人物のセリフを借りて表しているのです。


ここを読んだ時、私が思い浮かんだのは、最近読んだこの記事です。

香港騒乱で「デモ潰し」に参加する若者は何を思うのか−学生と若者と、蔑視と憎悪の応酬

「大学で勉強して頭でっかちになってるんだよ、あいつらは。俺は学はないけど、やつらの行動がばかげていることは分かる」

−お金が出なくてもここに来ていたか。

 「それは正直分からない。だが、きっかけはどうあれ、今は自発的だ。今日は1ドルも受け取っていないが、ここに来ている。あいつら(学生たち)を見ていると腹が立つんだ」

引用したのは「反デモ側」青年のインタビュー。日本では「中国にカネもらっている」「ヤクザだ」と片付けられる「反デモ青年」の心理に迫った良記事です。


中国社会(とひとまず一般化します)は、日本とは比べものにならないくらいの学歴社会です。でありながら、というよりであるからこそ、もしかしたら、「庶民」の「学生嫌い」は、根強いものがあるのかもしれません。「知識人」と「それ以外」の差・壁を可視化することが普通に行われる中国では、「庶民」の、「知識人」やその予備軍である「大学生」への反感は、延々と燻り続けている。それがついに大爆発したのが、文化大革命である。とかいったらホラの吹きすぎでしょうか。


もちろん、「なので反デモ側にも理がある」「デモはしょせん学生のお遊び」といっていいわけでは、ありません。記事のブコメでも書かれていたように、「両者の対立を高みの見物している権力者」という構図も、確かです。


ただ、庶民の「反知識人」は、「反権力」なんかよりも、もしかしたらずっと深い根を下ろしているのかもしれません。