出身地で暮らす

今年ぐらいからフェイスブックを少しずつやり始めました。といっても、1週間に1度、書き込むかどうか、ぐらいの頻度ですが。

小中学校の同級生とも久々に「再会」。ものすごく久々に名前を見て、「へえ、あいつ、元気でやってんな」と懐かしくなります。

で、彼ら、今でも当時の同級生と一緒に飲んだりしているんですよね。オレの記憶の「友達」とは若干ズレているように見える(当時、この2人、そんなに仲良かったっけ?みたいに)のが、面白い。「今誰々と飲んでいるんだけど、誰か来れる人いない?」「あ、じゃあ今行くわ。あの店だよね?」みたいな会話が繰り広げられている。

なんか、すごく羨ましくなります。


結局オレは18歳で地元を離れ、以来戻っていません。

あちこち転々(というほどでもないか、4カ所だから)としてきたわけですが、歳とともに、年々、友達ってできにくくなっていっているんですよね。「今日、飲みに行かない?」といえる人、少なくなっている。

今もそれまでまったく縁もゆかりもなかった場所に住んでいますが、、職場以外の人との付き合い、極めて少ない。職場すら多くない。出会う機会もない。


もちろんこれは、オレの性格によるところが大きい。これは間違いない。いろんなところに住んで、そのたびに新しい友達を作っていける人も、いるでしょう。

なので自分に責任がある。そう。100%認めます。

だからこそ、オレみたいな性格の人間にとって、出身地で生活していくのって、けっこうな利点があると思うのです。


小中学校というのは学力でも何でもなく(オレは地元の公立小中だったので)、「たまたま同じところに住んでいた」という一点で、強制的に集団生活させられる。これって、けっこう大きいんじゃないかと。

まず、利害がない。入試の成績がどうたらとか、会社の仕事をどうしようとか、そういうのなしに、付き合える。

しかも、大人になっても、そういう人脈があるのって、強い。ちょっとした頼みごとに、「ごめん、お願いするわ」「しゃーねーな、いいよ」といえるのって、かなりデカい。オレだと、今、近所で何かをお願いできる一般人って、ほとんどいないんですよ。


まあこの辺も、逆に見れば、「田舎のしがらみ」になるんでしょう。出身地に住んだら住んだで、面倒なことがないかといえばもちろんそうではない。むしろ面倒は多くなる。


でも、なんか羨ましいです。というわけで、地元に帰る方向で行くかどうか、若干思案中です。