そんなの当たり前

とある書評ブログを見ていたら、とある本に対し、「その主張は必ずしも目新しくはなく、また主張もありきたり。」と、否定的に書かれていました。

まあね。オレ自身も、自分の主張に「そんなの当たり前」といわれるのが一番キツイかも。

実際、分野によって濃淡はあれ、研究内容も、卒論ですら「独創性」が求められます。「誰々と同じ意見です」「みんなと同じ意見です」では基本ダメ。

これ自体は、「悪いこと」ではないです、よね、たぶん。


しかし一方で弊害もあって、「“当たり前のこと”を言うこと」を、忌避してしまう、そういう流れを生んでいるのでは、と。

たとえば、差別について。男女差別はダメ。民族差別はダメ。というかどんな差別もダメ。これ、言うまでもなく当たり前です。

なので当たり前すぎて、言っても書いても「得点」にならないんですよね。というか「得点にならない」と感じてしまう。

歴史修正主義みたいなのに対する応対も、そうじゃないか。「歴史修正主義はいかん」なんて、当たり前。当たり前すぎて、言ったところで、なんの得点にもならない。なのでスルー。

よく「日本の学術界は歴史修正主義に甘い」と批判されるのも、この辺に理由があるのでは、と思ったりします。


オレも実際、これらの言論(反・歴史修正主義とか反・差別とか)を読んで、「何を当たり前のことを…」と思ってしまう、ことがよくあるのです。気をつけないと。