足りないもの、余計なもの

今回の中国行きの前半では、とある地方都市で、オレと同じような仕事をしている方にお世話になりました。夫婦でその職業。

なので、中の上から上の下くらいの階層ではあります。

その方は夫婦で車を1台ずつ持ち、マンションも2軒所有(1軒は投資用というよりも「今のところ誰も住んでいない」という感じみたいです)。食事も高級ホテルの最上階のレストランに連れて行ってもらいました。そこも「今日はお客さんが来てるから特別」というわけでもなく、普段からちょくちょく来てるよ、的感覚。

見ていると、オレが持っているもので、彼らが手に入らないものはないですね。すべて持っている、もしくは、持とうと思えばいつでも持てる。

給料も、今の時点ではオレの3分の1というところですが、これもあと10年ぐらいで追いつくんじゃないでしょうか。


彼らが持とうとしても持てないもの、あえて言えば「(言論やらの)自由」とか「選挙権」とかいう話になるんでしょう。実は彼も、多分にオレに対するリップサービスではあるのでしょうが、「中国はそういう自由がない。全部共産党が決めてしまう。日本がうらやましい。」としきりに話してはいました。

でも、どうなんでしょうねえ。彼らの生活を見ていると、別にそんなもの要らないんじゃないかとも思います。欲しいものが欲しい時に買えれば、それで十分。それ以外に何があるの?みたいな。


日本のマスコミやメディアではよく「中国では共産党独裁の閉塞感が云々」と語られて、もちろんそういうものがあることは間違いないんでしょうが、でもじゃあ今彼らがみんな暗い顔でドンヨリと生活しているかというと、そうでもないような。

もちろんもちろん、オレが見たのは13億分の1〜2。そんなんで「今の中国」を語んなよ、といわれれば全くその通りです。とはいえそれを言い出したら、13億通りの生活ぶりを見ないと、「今の中国」は語れないことにはなりますがね。


なんか、よくわからなくなっています。何がわからないのか、何がわかればわかったことになるのか、もよくわからないのですが。