スティグマ

今回の「文理合同発表会」のポスターセッションで、うちの学生がみんな言っていましたが、「理系の人が来て、説明すると、“で、それがどういう役に立つの?”と聞かれる」のだそうです。

理系にもいろいろあるでしょうが、今回一緒にやったのは「脳波で動かすことができる高齢者用の介護椅子」とか「よりよいタッチパネル」とか、そういう「実学系」のとこだったので、向こうの学生さんたちはとくにそう考えたのでしょう。

で、うちの学生さんたちは「そんなこと言われてもねえ」とみんなやや不満そうでしたが、結局文系科目、とくに文学研究なんてものには、常にそういう「眼」が注がれるわけです。「それやって、なにになるの?」という。

もちろんそういう質問にはいろんな方向からの回答が可能ではあります。で、その答えを探すのも、文学研究をやる醍醐味なんじゃない?とかなり昔から思っているんですよね。

でも文系文化にいると、それは聞かないお約束、になっているのですよ。言ってみれば、みんな脛に傷持つ身、ですしね。

別にそれでいいといえばいいのですが、まあでも、「それをやる意味」を考える病に罹っている私としては、格好の研究分野です。

いや、文学をやっているからこそ、この病気に罹っちゃったのかな。