ギャップ

中国からの交換留学生、次々に到着しています。

全く屈託なし。いつも通りにこやか。

彼ら彼女らを見ていると、揉め事なんて遠い世界のことのようです。

もちろん、これを根拠に、「揉めているのはごく一部。大多数の人間は揉め事など望んでいない」ということは可能だし、またかなりの程度事実ではあります。

でも一方で、「揉め事はごく一部。そんなのオレらには関係ねー」というのも、ちょっと違うような気がします。

メディア上だろうがバーチャルだろうがごく一部だろうが、「揉めている」のはたしかなのですから。

このあたりをどう考えるか、というのを、後期の中国文化論では話そうと思っています。その留学生たちも受講するので、緊張感もアップ。いや、べつに、中国人が聞いてなきゃ好き勝手しゃべれるのに、というわけではないのですが。