阿吽の呼吸

今の時期、日中韓関係研究者は書き入れ時ですね、といったら不謹慎でしょうか。まあ、別に誰が死んだわけでもないですし。


新聞かなんかで「最近の諍いは、阿吽の呼吸が失われたためだ」とか書いていましたが、それを推進してきたのが我々でもあったわけです。内政であれ外交であれ、「密室」とか「暗黙の了解」とか、そういうので物事を決めてはダメですよ、すべてをガラス張りにしなければ、と。実際、このへん、ネットの発達で、かなりの程度筒抜けになってませんかね。あるいは、「もはや筒抜けだ」と我々が思いこんでいるというか。

お互いの腹の内を見せ合うになったら、却って争いごとが増えた、という感じでしょうかね。あいつ、表面では穏やかに笑っていたけど、腹の中ではこんな風にオレのこと思っていやがったのか、と。この先「相手の心の中が読める機械」が発明されたら、傷害・殺人事件が急増した、なんてことになりそうです。


後期の「中国文化論」の授業では、さっそくこのへんを取り上げてみたいもんです。さて、どんな感じでプレゼンするかな。