初心忘るべからず

タイトル、「忘るる」だとずっと思っていたら、誤用なんですね。それはいいとして。

昨日はこの本を。


僕が見たアフリカの国―セネガル見聞録

僕が見たアフリカの国―セネガル見聞録


いや、面白かった。今のところ、今年度の「外国モノ(いい加減な括りですが)」部門NO.1です。


昔から外国モノ好きなのですが、ポイントは、「〈他者〉と遭遇した時の驚き」が素直に表現されているか、ですね。

ありがちなのは、在○○十何年みたいな人が書く「オレはこの国のことを誰よりもよく知っている。それをレクチャーしてやろう」的上から目線のヤツ。最近の中国モノはほとんどこれですね。

そういうのがまるでダメというわけではなく、参考・勉強になる部分が多々あるものも多いのですが、しかしそういうのって、その著者の中の「戸惑い」やら「驚き」やらが、往々にして見えないんですね。「そりゃそうだろう、もう十何年も住んでいるんだから」となるんでしょうが、しかしながら、すでに著者の中に確固として定着したイメージを見せられるのって、つまんないんですよね。


これはあくまで個人的な好みというか志向でしょうが、今でもオレは、海外に行くの、ドキドキなんですよ。むしろ、ドキドキするために行く。わけのわからん目に遭って言葉も通じず「えーーこのあとどうすりゃいいの??」と途方に暮れる、そのため。なにせ人一倍気が小さいので、些細なことですぐにテンパってドキドキするのですが、それが(あとから振り返れば、ですが)楽しい。

なので、外国モノの本も、そういう「ドキドキ感」がある方が好み。つまんないことでもいいんですよ。「中国のトイレにドアがない」とかそんな定番でも。


結局のところ、学問・研究(に限りませんが)ってのは「〈他者〉と遭遇し、それをいかに分析するか」に尽きるんじゃないですかね。これ、別に外国じゃなくても、なんでもそう。〈自分自身〉が対象でも同じ。「オレ、なんでこんな風に考えるんだろう」「自分で自分がわからん」というところから、思考が始まる。逆に、「ああ、その問題はこういうことなんですよペラペラペラペラ」系の、「オレがすべての答えを知っている」系のものは、端的につまらん。仮に答えが正しかったとしても。


……およよ、今日もまた「自分(の好み)語り」をしてしまった。行ってみたいな、アフリカ。でも、「夜になるとトイレにゴキブリがウヨウヨ」は、ちょっと勘弁ですが……