進むべき道

そのお仕事では、いろんな企業の人事の方とお話しする機会があったのですが、採用、今では、ほとんど面接一本なんだそうですね。
良く言えば、「どの大学・学部を出たか」などは関係ない。人物重視。

悪く言えば、「大学で何を勉強したか」などはまったく関係ない。


で、また別に聞いた話ですが、北京大学に事務所を置いている日本の某有名大学で、北京大附属高校の生徒相手に、国際系のプログラムへの入学の募集をかけたら、なんと応募者ゼロ。
「国際文化」とかその手の授業プログラムだったそうなのですが、中国のエリート(予備軍)相手には、全く魅力がなかったようです。中国の若者は、「国際交流」みたいな抽象的なカリキュラムよりも、もっと具体的な、例えばMBAに代表される、「何々を学んだ」「その道のプロフェッショナルだ」と言えるようなカリキュラムに魅力を感じるのでしょう、とは、教えてくれた方の弁。


こういう話を聞いていると、やっぱりいろいろ考えさせられますね。日本の大学はなんだかんだで総じて「教養大学」です。「大学では将来に直結する知識や資格を」というよりは、「幅広く学んで、人格を高める」系の考えの方が人気がある。これは、左右を問わず、そうです。「将来の仕事のために大学で学ぶ」という、おそらく世界標準では当たり前な話も、日本だと「大学は就職予備校じゃない」として、いまだに一部では忌避されるお国柄です。

で、そうした日本の大学の風土が、就職の時に「大学で何を学んだかは全く問わない」という「企業の論理」と、奇妙に親和してしまっているのが、なかなか興味深かったです。この「企業の論理」、実は「大学は就職予備校じゃない」という側の大学の先生的には、悪い話じゃないのかもな、と思ったですよ。だって企業の採用が資格なんか問われない人物重視だんだったら、むしろ望むところじゃないですかね。面接で「何か資格は?」と聞かれて「文学作品をいっぱい読みました」ではバツだろうけど、「人物本位」の面接であれば、むしろ溢れる教養は優位かもしれません。
実際、人事の方、けっこう若い方でも、「いっぱい本を読んで教養を」的な、むしろアナクロな感じの言い方をしていたので、軽くビックリでした。


まあでも、大学も、企業も、そうした風土が日本だけで通じるだろうことも、また事実です。ガラパゴス化


で、今後。日本の大学はどうなるべきなんでしょうかねえ。「やっぱり世界標準に合わせて、もっと「職業訓練」的な意味合いを持たせるべきだ」なのか、「いやいや、別に世界に合わせる必要なんかない、日本は日本で、あくまで「大学は、それがなんの役に立つのかが分からないものを学ぶ場なのだ」という内田先生的な道を進むべき」なのか。


……う〜ん、わからん。やっぱりマクロな思考は苦手っす。日々の授業の準備で精一杯。