「家」の両義性

「この人と飲むと必ず悪酔いする」ということ、ありません?

昨日まさにそれでやられました……今日一日棒に振ってしまった……


ムカムカ気分を堪えつつ、今度の金曜の市民講座の準備。

今回のお題は、「中国の家出文学」です。巴金の「家」を使って。


しかしいろいろ読むと、「家」、難しいですね。一筋縄ではいかん。

一般的には、近代中国における重要なテーマの一つは、「封建的な家からの決別」でした。文学でも、魯迅しかり、巴金しかり。

しかし一方で、中国においては、いまだに「家」のネットワークは強固、かつ重要です。海外に行くのも「親戚を頼って」というパターンがとても多い。


これ、どう評価すべきなんでしょうかね。あのころ魯迅や巴金(そして多くの進歩的知識人)が言ったことややったことには、あんまり意味がなかったのか。それとも一定の意味はあったのか。


講義の落としどころをどこに持ってくるか、いまだに悩んでおります。