セキララ

O東さんにご教示を受けて、市民講座、なんとか形にはなりそうです。

さて、これまたO東さんにアドバイスを受けて、私小説の代名詞・「蒲団」を読みました。かなり前に一度読んで以来、久しぶり。


……いや、すごいですね、これ。今さらながら、仰天してしまいました。

 三十四五、実際この頃には誰にでもある煩悶で、この年頃に賤しい女に戯るるもの多いのも、畢竟その淋しさを医す為めである。世間に妻を離縁するものもこの年頃に多い。
 出勤する途上に、毎朝邂逅う女教師があった。渠はその頃この女に逢うのをその日その日の唯一の楽みとして、その女に就いていろいろな空想を逞うした。恋が成立って、神楽坂あたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう……。細君に知れずに、二人近郊を散歩したらどう……。いや、それどころではない、その時、細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女を入れるとしてどうであろう。……平気で後妻に入れることが出来るだろうかなどと考えて歩いた。


しがない中年男のイヤらしい空想をここまで見事に表現するのは名人芸ですね。と同時に、中村光夫が「蒲団」を忌み嫌う気持ちもよく分かりました。

風俗小説論 (新潮文庫)

風俗小説論 (新潮文庫)

これも連休中に読み返したのですが、「日本の小説は「蒲団」のおかげで歪んだ発展を遂げてしまった」という「蒲団元凶論」があまりに露骨なのでちょっぴりムカムカ来ていたのですが、そりゃこんなのがもてはやされたら、それに危機感を持つ気持ちも分かります。


それにしても、たしか二十歳そこそこで「蒲団」を読んだ時にはあんまりピンと来なかったのに、今回、(ありがちな感想ですが)自分の心の中のどす黒い部分をさらけ出された気分になったのは、いうまでもなく、オレがこの時の竹中時雄(主人公)、そして執筆時の花袋とまったくの同世代だから、でしょう。ちなみに今調べたら、花袋はオレのちょうど100年前に生まれていました。なんか、縁を感じます。