都落ちの文学史

昨日はたまたまこれを。



なかなか面白かったです。歴女モエー。


さて、周知のように、松本清張の小説にはよく「大学内部の権力闘争」、とくに「史学科における権力闘争」が出てきます。『葦の浮船』にもありましたよね。この小説の舞台も、東京の国立T大学の史学科です。まあ実際、僕らの間でも、「歴史学は伏魔殿」とよく言われますし(違

で、権力闘争に敗れた、その結果が「都落ち」なんですよね。『火の路』でも、日本史研究室の助手・通子が研究室の教員たちから疎まれ、四国(たぶん松山)の新設私立女子大に体よく追い払われるのですが、そのことを教授から告げられて、クールビューティの通子は、この小説で唯一と言っていいほどに怒りを露わにし、悔しさを滲ませるのです。

これがよくわからん。そんなに地方に行くのっていやか? そもそも通子は完全な学究肌で、名誉も何も要らずひたすら研究に打ち込めればいい、というタイプとして描かれています。だったら、くだらん権力争いに巻き込まれず、のんびりと研究に打ち込める地方のほうが、ずっといいんじゃない?? しかも通子自身も、もともと信州の出身なんだし。

まあ今と違って昔(舞台は昭和40年代ぐらいですかね)はネットなんかもないでしょうから、東京と地方の情報格差も今とは比べものにならないくらい大きかったのでしょうが、でも歴史研究なんてさすがに刻一刻と状況が変化する、というほどでもないだろうし、なぜそこまで「都落ち」を嫌うんでしょう。


……といいつつも、何となくは分かるんですよね。いや、分かるというのは違うな。そういう人が多いというのを知っている、というか。

僕らの業界でも、「首都圏限定」で公募を出している人って、けっこういるみたいなんですよね。もちろん家庭の事情、という人もいるでしょうが、それ以外にも、「首都圏以外で研究/生活を送るなんて、考えられない」みたいに考える人も、それなりにいるみたい。

オレみたいに、生まれてこの方地方にしか住んだことがなく、かつ次にどこかに移るなら今まで住んだことのないところに住んでみたい、と考えている人間には、よくわからん志向です。


で、どうなんでしょう。「大学から上京した人」と「首都圏で生まれ育った人」では、どっちがそういう志向が強いんですかね。

ちなみに、四国松山の「都落ち小説」といえば言わずもがなのアレですが、彼は生粋の江戸っ子か。今度「都落ちの小説史」とかいうタイトルで新書(ry