求む、人材

今日はこの本を。


イスラーム世界の論じ方

イスラーム世界の論じ方


すげーや。さすが。100%異議なしです。日本にとって本来的な他者ともいえるイスラム世界の現状を的確に分析すると同時に、それが日本社会に与える影響やその問題点にいたるまで、まことに目配りの利いた文句なしの本です。
使っている資料は、びっくりするようなものではないんですよ。もちろんイスラムの文献を原典で当たれるというのは大きな強みでしょうが、それにしたって新聞や論文、あるいは現地のテレビ番組などがほとんど。いわゆる中国の档案資料的なものは使っていません(そもそもイスラムに档案的なものがあるのか無いのか分かりませんが)。それでもここまでの分析ができる。いや、ちょっと勇気が出てきますよ。


翻って、我らが中国研究に、ここまで物事を客観的に分析できている人が、果たしてどのくらいいるでしょうか。
数だったら、中国研究者は、イスラム研究者の、数百倍、数千倍はいるでしょう。
でもその中身はというと、まあゲンナリするものが多い。おいおい、お前は誰の代弁者じゃ、みたいな「研究書」が、けっこう溢れていたりします。


やっぱ中国って、距離が近いだけに、それぞれの「中国への思い」が先にありきで、なかなか客観的分析にはいたらない。「中国好き」とか「中国嫌い」とかの感情が強すぎて、まず結論ありきで「研究」や「報道」を進めちゃいますからね。あるいは、自分のちょっとした経験を、「中国のすべて」だと思いこんじゃう。たとえば(特に人文系の)研究者だと、向こうで付き合う相手も研究者で、しかもまあ「立派」な人が多いもんだから、「中国は素晴らしい国だ」と思いこんじゃったりとか。あるいは逆に、中国で酷い目に遭った事実を元に、「中国というのはとんでもない国だ」と思いこんだり(あ、これはオレもやりがちです)。

また、現実の中国(人)の声が大量に入ってくる、というのも、イスラム研究との違いでしょう。それはもちろん大きなメリットでもありますが、考察を誤らせる原因にもなる。「中国(人)がこういっているんだから、中国はこうなんだ(ろう)」みたいな論法も、とくに「中国好き」陣営にはけっこうお目にかかれます。あるいは中国人の書く「中国(人)論」もそう。「中国はこうなんです。中国人である私が言っているんだから間違いありません。日本人(や他の外国人)の書く中国論はみんな間違っています。現状を見ていません」的な物言いは、中国人の書く中国論の定番です。

しかし当たり前ですが、内部からしか見えないものもあるでしょうが、内部からは見えない(見えにくい)ものも当然あるのです。いわゆる「外国研究」の醍醐味はそこでしょう。「自分のことは自分が一番よく知っている」という常識を覆し、内部にいたのでは見えない部分・気づかない部分を、外からの目で見ることで、浮かび上がらせる。


いや、いろんなことを考えさせられた本でした。