人文系の効用

今日は、今年度で退職される独文の先生の最終講義でした。

その先生は、30数年間の奉職中、まず最初の10年は、カフカ研究。

続いて、全く無名のドイツ人作家の研究を、10年。

そして最後の10数年は、第一次大戦時の日本のドイツ人捕虜の研究。

それを聞いて、いろんな感慨に襲われて、思わず涙が出そうになりました。


人文系の研究って、本来、こういうもんなんじゃないですかね。

つまり、「役に立つ」とか「論文を年何本」とか言うのとは無縁の、のんびりというか、じっくりというか。

こんな研究しても、世の中には、屁の役にも立ちませんよ。

でも、それでいいんじゃないでしょうか。世の中の役とかそういう観念を超越したところに、人文系の意義って、あるんじゃないですかね。


そんな役に立たん研究など、要らん。人文系など、無くしてしまえ。

そういわれても、ぐうの音も出ません。言い返すことなどできません。

実際、その退職される先生の後任は、無しです。


今までは、なんか自分で、「人文系だって、役に立つんだぜ。いや、他のヤツらは知らんけど、オレの研究はそういうもんじゃないんだぜ」とか、一人で粋がってるところもありました。

でも、役に立たないで、それでいいのかもなあ、と、なんか考えたですよ。

なくなったらなくなったでもいいやん、少なくとも今は、オレのやりたいことをやろう、とね。