またまた中国特集

もうひとつ中国特集。『論座』8月号。

特集といってもゆる〜い座談会が一つと論考3,4本ほどですが、その中では川島真氏のがさすが。

[…]このような[中国の]特異性は、中国自身が「国情」あるいは「中国的特色のある」といった言葉を使うことによって、いっそう際立つ。確かに、あれほどの人口規模をもち、また多くの社会問題を抱える中国には独自の問題が存在するであろうし、何もかも国際標準で測られては持ちこたえられない面もあろう。だが、「中国には国情がある」「中国的特色のある××建設」などと言われると、中国特殊論を中国自身が唱えているように感じられてならない。
 そして、中国が自らの国の事情や特色を主張して「世界標準」から遠いところに自らを位置づけているのではないか、その中国が政治力、軍事力、経済力を増すことは、すなわち世界の不安定性が増すことになるのではないかという危惧が、ここからも生まれてくることになる。
(川島真「ぶれる国家像 基調の一貫性と「ぶれ」る現状を読み込む」)


中国が自分から「中国特殊論」を唱えてしまい、他国との「比較検討」を拒否してしまっている、ということについては、先日触れた『現代思想』の孫歌さんの論考*1が典型的でしょう。

[中国社会は]それはただの「格差社会」によって総括できない、はるかに複雑な仕組みを持っている、という点から言えば、やはり一種の総合社会なんです。それを原理的に分析する仕事は、未だに未完成のままですが、今年になって、「民族国家」というヨーロッパ原理との衝突によって、このような仕事はますます緊迫に迫ってきました。それはカルフールに抵抗するとか聖火リレーを応援するとかのような表象的な出来事に囚われたり、「反体制」とか「人権をもとめる」とかの出来合いの認識力に頼っている人々には、とうてい咀嚼できません。
孫歌「「総合社会」中国に向き合うために」)


この議論の当否はひとまず措くとして、このように「「中国の見方」は、中国が決める」という態度においては、自分たちを批判的に見、しかし建設的な意見を提出してくれるかもしれない「他者」との対話が完全に拒否されてしまっています。そしてそうした態度は、巷に溢れる「中国脅威論」(もちろん荒唐無稽なものも大量に含まれてはいますが)を弱める方向には、けっして作用しない、ということは、覚悟せねばならないでしょう。

*1:ちなみにこの論考は「成蹊大学アジア・太平洋研究センターで行われた講演を踏まえて」「一橋大学で行われた講演を参考にして」加筆したものだそうです。これらの大学のエライ先生方は、この講演を、どういう顔で聞いていたんでしょうか。ちょっと見てみたかったです。意地悪ですが。