中国における民主

今さらながらこの本を。

中国動漫新人類 (NB online books)

中国動漫新人類 (NB online books)

アニメに関するところは、あまり得意ではない分野なので(著者も、らしいですが)、面白かったです。中国の子供たちが日本のアニメを見る理由として、ほとんどが「見ないと学校でみんなの会話に付いていけないから」と答えているのは、意外。同調圧力というのは日本で異様に強い、といわれていますが、いやいや中国だって似たようなもん、ということがわかってホッとしました(なぜ?)。


しかし後半、中国における民主化を扱った部分(おおまかにいうと、「日本アニメが民主化をもたらす」)は、かなり「?」でした。ご自身も認めておられるように、著者の遠藤先生は中国に「甘い」。

たとえば、著者が中国の政府高官と会食したときの会話(p.273〜)。これが大変興味深い。まず、この高官がいうには、アメリカのアニメ、たとえば「花木蘭」には、アメリカが「人権主義や民主主義を織り交ぜ、思想的侵略性を以て中国の若者の精神文化を洗脳しようという意図が読みとれ」(p.276)るんだそうです。こういう「精神汚染論」はソ連崩壊とともに潰えたのかと思っていましたが(今も生きているのは北朝鮮ぐらいで)、どっこい、「政府高官」にはまだ生き残っているんですね。

しかもなんと遠藤先生、「この見解を聞いて、身震いがした」「アメリカのアニメに隠された意図をきっちり見抜いている、この政府高官の頭の鋭さに脱帽したのだった」とか同調しちゃってます。どう見ても、頭が「鋭い」んじゃなく「堅い」もしくは「古い」んだと思うんですが。


まあそういう陰謀があるのはいいとして、さらにこの高官は、中国はいずれ民主化する、しかし今、農民が70%を占める状況で選挙を行えば、国はきっと大混乱に陥る、なので「中国共産党がしばらくの間は中国の民を守っていってあげないといけないんです。民を真に愛するなら、今しばらくは安定が絶対に必要なのです。このような大きな国で安定を保つには、強いリーダーシップを持った、強い政権党が不可欠なのです」(p.278)とのたまうわけです。それに対しまたまた著者は「私は驚きと畏敬の念を以て、彼の話を一言一句聞きもらすまいと耳を傾けた」とか傾けちゃうんですが、それってどうよ??

まあ遠藤先生は、「中国はいずれ民主化する」と高官が認めた、そっちのほうに「驚きと畏敬の念」をもったんでしょうが、しかし僕なんかが気になるのは、「その時期を決めるのは、ほかでもない、オレたち共産党である」というところです。そして、「民主化」される日は、たぶん、半永久的に、来ない。欧米や日本程度に民主化された国ですら、選挙で「大混乱」が起こっているのです(アメリカみたいに)。混乱がまったく起きなくなる時期など、来るはずがない。ゴドー待ちです。
(むしろいわゆる民主化された地域では、選挙って、そのために混乱が起ころうが何が起ころうが、断固として遂行しなくてはならない、絶対前提として措定されているんですよね?)


しかし、これはこの政府高官のみならず、中国の、むしろ中間層に共通した心性のようです。今度はこの本。園田茂人『不平等国家 中国』(中公新書、2008。「アマゾンへのアクセス集中」だそうで、書誌情報だけを)。


これの5章。中国の中間層は、アジアの「民主化」された国(日本、韓国、台湾)よりも、「言論の自由」などより「社会の安定」を求める、というアンケート結果がでています。また、「言論の自由に比べて社会の安定の方が大切だ」という主張も、76.1ポイントと、高い(こっちは、各国の比較はでていませんが)。また、中央政府(地方政府はダメですが)への信頼も高く、2000年で95%だそうです。信じられない高率です。

これをみると、我々がイメージしがちな「政府により自由を抑圧される市民」という構図は、かなり修正が必要なのではないか、という気がします。こう言い切っていいかはわかりませんが、少なくとも今の時点では、中国の中間層は、かなりの程度、自ら進んで「政府・党による統治」を望んでいるのでは、と。


そうだとすると、話は相当厄介です。彼らを「民主」で説得するのは、かなり絶望的です。
そのままにしておくしか、ないんでしょうか……