想像力?

僕は「私の嫌いな言葉」というのが嫌いでして、「ふーんそうですかあんたは嫌いですか」で終わり、だからなのですが、でもあえて、嫌いな言葉を一つ選ぶと、「想像力(の欠如)」、でしょうか。

これ、いろんなところでよく目に/耳にしますが、こういうこという人は、「「想像力が欠如している人」とはどういう人なのか」「彼らは別に欠陥人間ではなく、彼らなりの論理で動いているんじゃないのか」、ということを想像できない、という意味で、どっちもどっちだからです。


さてさて、おとといぐらいのニュースで、関西のどっかの街の「夜景の名所」で、最近若者が大声で歌ったり花火をしたりしてうるさい、住民が注意すると逆に脅されたりクラクションを鳴らされたりする、というのがありました。

で、「この記事に関するブログ」を見てみると、すべてが「このクソガキどもなんとかしろ」というものでした。

僕も、「このクソガキども」と、思います。ひとまずは。


ただしかしいっぽうでは、「人様に迷惑をかけないようにしましょう」という「常識的」な理屈でこのクソガキどもを説教することには、これっぽっちも効果などない、ということもまたほぼ厳然たる事実です。悲しいことに。その場合、はたして、いかなる方策が考えられるんでしょうか。彼らに「俺らのことを想像しろ」といってもムダ。ではオレたちのほうが彼らに寄り添っていくのがいいのか?彼らの内面を想像すればいいのか?


こういうのは、クソガキに限らず、多くの場面で見られることでしょう。たとえば、(少なくともデモしたりしてた)中国人に、「キミたちの国は民主的ではない」と説得することはほぼ不可能です。「そんなの大きなお世話だ」と言われて。逆に日本のネトウヨに「先の戦争での犠牲者のことを少しでも考えろ」といっても同じくムダ。


ムダだから放っておけばいい、かはちょっとわかりませんが、少なくとも、自分とは違う倫理で動いている人間もいる、ということに対する想像力は、働かせる必要があるんじゃないかとおもったりするのでした。