自由の度合い

上海でのビョークの「チベット独立」発言、当然ながら、ちょっとした騒ぎになっております。


僕はビョークとか名前しか知らないし、そもそもアーチストの自己表現とかには何の興味も湧かないのですが、ただ昨日?の村上メルマガのふるまいよしこさんの記事には、ほぅと思いました。


ビョークの発言、中国のアーチストからも、批判的に見られているんだそうです。つまり、「オレたちが苦労して少しずつ勝ち取ってきた表現の自由が、そんな経緯など何も知らない外タレの、考え無しの発言によって、また脅かされるじゃないか」と。


なんとなく連想したのは、「生徒会が勝ち取った「服装の自由」が、一部のチャラチャラした学生によって、また元に戻っちゃった」みたいなケース。いや、オレの高校で、似たようなことがあったので。


……例えがちょっと卑近すぎますね。でも、とりあえずの「条件付き」の自由を目指すのか、それとも一気になんでも有りの自由を目指すのか。この両者、究極の目的は同じだとしても、その過程ではむしろ対立してしまうものなのかも、と思ったりしました。


ではでは明後日から上海。