宗教学のしゅの字も知らない僕の居酒屋談義を。


チベットで賽銭のお釣りやら五体投地やらを見ていると、ここでの宗教というのは、契約なんだなあ、などと思います。


「これこれをやるから、これをしてくれ」「こんだけの犠牲を払うから、それに見合う見返りをよこせ」的な。


もちろん、これは貶めているのではありません。「無私の奉仕」みたいな考えが大嫌いな僕には、むしろ心地よい。べつにいいじゃん神様に見返り求めたって。


しかし、チベットのお寺のバター臭さには少々辟易。バターを蝋燭にするのですが、長い間いると気分悪くなってくるですよ。