オタクと研究と
僕は授業で、学生に、「何かあったら、あるいは何もなくても、いつでも研究室においで」と言っております。
不思議なもので、ヒマで仕方がなかった1年目、2年目は、いくらそう言っても、学生はほとんど来ませんでした。
で、それなりに忙しくなった去年ぐらいからぼちぼち来はじめ、今年はなんだか部室みたいになってきました。
相手をする時もありますが、忙しい時には「そのへんの本かマンガでも読んでおいて」とほったらかしてます。すると、本当に読んでたりして。
で、昨日来た学生、本棚にあったこの本に目をとめ、ソファーで読み始めました(ちなみにオレは積ん読だったのですが)。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/16
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ほとんどの学生がマンガとかラノベ(後者は置いているのはほんの数冊ですが)に興味を示す中、彼はひと味違うのですよ。前々から「なかなか出来る学生だわい」とは思っていましたが。
ひと味違うというのは、その本を読んでいないでいうのもなんですが(でもその学生、「そうそうこれってこうなんだよな」とか解説しながら読んでいくので、なんとなく分かりました)、「オタク的興味・好奇心」の一段上をいっている、というところ。
ここでいろんな留保をつけますが、「研究とオタクは、同じか、違うか」というところ。「一緒でいいやん」という人もむろんいますし、実は僕も、「研究者であるには、オタクたるべし」という環境で、育ってきた、とも言えるのです。「研究対象を好きになれ」または「好きでもないものを研究するな」とか、よく言われました。
一般的には、一人の人間がオタクであることに、なんのやましいところもありません。あること/ものが好きで好きで、その意味など考えず、ひたすら集め、鑑賞することに専念する。まあ理想的な生き方です。
ただ僕は、もしあるものを「研究」する場合には、その対象から、一歩離れる、そういうスタンスの方が、好きです。論文も、「対象が好きで好きで……」系のものは、やや引いてしまう。
オタクって、学生の中にも、大学のレベルとかに関係なく、けっこうな確率でいるんですよ、最近は。で、その度合いに、これまた頭の良い悪いは、あんまり関係ない、気がする。
僕的「オタクと研究を分ける一歩」は、「で、それがどうしたの?」です。
「知識」をただ集めて、「すげーだろー、おれ、こんなにいっぱい持ってるんだゾ、こんな珍しいのも持ってるんだゾ」じゃあ、収集癖です(注:繰り返しますが、「収集癖」自体がバツ、というわけではないですよ。あくまでこれは、研究の、しかも個人的な好みのお話。しかも、研究と収集癖、どっちが上、というものでももちろんありません)。
そこからもう一歩、集めたピースを、どう並べるか(あるいは、「どう並べるか」というところに意識が行くか)、これにかかってます。
前置きが長くなりましたが、件の学生、ラノベや韓国ドラマ(後者はオレと好みがピッタリ)に詳しい一方で、それを分析対象にする「東さん的方向」にも興味があるということは、なかなか有望です。ちょっと注目しておこう。