名著復活

試験の社会史―近代日本の試験・教育・社会 (平凡社ライブラリー)

試験の社会史―近代日本の試験・教育・社会 (平凡社ライブラリー)

また入学者選抜方法の多様化は、入学試験による学力評価以外の多様な評価手段の導入の形で進行しているが、それは「個人性」の記録のさらなる精緻化をもたらしつつある。クラブ活動やボランティア活動の点数化は、その象徴といってよい。明治期のあの「人物考査」を思わせるものが、そこにはある。「たえず見られているという事態、つねに見られる可能性があるという事態」が、「個人を服従強制の状態に保つ」という、試験のまさにフーコー的な世界が、学校の内部により大きな広がりをもち始めているのである。(381頁)

そーなんですよ。べつに愛国心教育に限らず、内申書とか、平常点とか、あるいは推薦の面接なんかで「人柄を見る」とかいうのって、「たえず見られているという事態」なわけですよね。いや、実際、推薦の面接では「試験の点数や答案ではなく、人間としての私を見てもらおうと思い、推薦入試を希望しました」と述べる学生が多いわけですが(そしてマニュアル的には、たぶん答えとしてはOKなんでしょうが)、おいおいそんなに人に見られたい/評価されたいのかよ、オレだったら、他人に評価されるのはテストの点数だけで十分だと思うがな、とマジレスしたいのを我慢しております。

なので僕は、「ペーパーテスト大いにけっこう」論者です。授業のシラバスにも、「平常点」という項目は極力入れません。どんなに態度の悪いやつでも、どんなにはらわたが煮えくりかえりそうになっても、評価は点数でのみ、と決めております。