つながるか

自らを機械と定義してしまう場合、責任がちゃらになってしまう(例えば、〈アイヒマン問題〉)。逆に言えば、「機械」に自己責任は問えない。どんな結末になっても、「機械」自体は悪くない。悪いのは、設計者であり、製造者であり、誤った操作であり、停電等々だ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070130/1170130210

無知を装うことによって責任を回避する。
「知りませんでした」「聞いていない」「情報が現場からから上がってこない」「訴状をまだ読んでいない」「調査委の答申を待って」・・・この間に見聞きしたすべての不祥事で、すべての組織の管理者たちは、「自分は組織を管理できておらず、組織内で何が起きているかを知らなかった」とみずからの無能を告白することで責任を逃れようとしている。
私たちの社会はこの種の遁辞に対してかなり寛容である。
だから、人々は争って「自分は無知で、無能で、だから無罪です」という言い訳にすがりつく。
http://blog.tatsuru.com/2007/01/30_1049.php