田舎が嫌い

前々から不思議に思っていて、先日行った時にも改めて思ったのですが、松山という街が漱石と「坊っちゃん」で街おこしをしているのはなんなんだろう、と。あの小説の中で田舎だなんだとさんざんコケにされておきながら、それに便乗して街おこしとは、プライドが痛まないのかなあ。


……という疑問はもちろん僕だけがもっているのではなく、こういう意見は何度も眼にしたことがありますが、でもそれへの反論って、聞いたことがないなあ、と。「いいやんべつに。儲かるなら。」という感じかしら。それはそれで潔いというか。


で、これを思い出したのは、魯迅が南方へ行った時の反応を見てです。魯迅は1926年8月、十数年暮らした北京を離れ、廈門大学に赴任するも年末に辞任、翌27年1月には広州の中山大学に赴任、4月に再び辞任、同年9月に上海へ、と、1年あまりの短い期間を慌ただしく南方で過ごしたわけですが、ここではまあ、南の暮らしに文句の言いどおし。「四季がない」だの「景色がつまらん」だの「言葉が通じん」だのなんだのかんだの。「文化砂漠」という言葉も、魯迅が言い出したものではないにしろ、結構使っているし。


夏目漱石の視線に帝国主義的・中央集権的なものを読みとる、というのはたぶんもうやられているのでしょうが、魯迅に対してはどうでしょう。こっちは案外まだだったりして。