飯の種

今日の朝日の社説。「戦争とメディア 競って責任を問うた夏」


まあそりゃそうだわな、という記述ですが、最後の部分。「メディアが権力を監視し批判する使命を放棄したらどうなるか。この重い教訓を忘れないようにしたい。」に、やっぱり違和感が。


先日のコメント欄にも書きましたが、メディアにとって、戦争というのは、その党派や主張を問わず、飯の種であり、稼ぎ時なのです。佐藤卓己『メディア社会』(ISBN:4004310229)のp.87の表のように、日中戦争が始まると、各紙の売り上げはどんどん上昇していきます。戦時中のメディアというと、イメージは検閲、それに伏字、といったところでしょうが、「伏字は検閲の存在を読者に訴える手段であり、それによって隠された事実の重要性を喚起することができた」(p.95)ので、それはそれで「美味しい」事態ではあったのです。「おれたちゃこんなに検閲を受けてまで、頑張っているんだぜ」と見せつけられる、という意味で。


一般的な「戦時期メディア」のイメージは、「軍部の検閲・統制により、メディアは真実を伝えることができなかった」という「メディア被害者史観(あるいは「メディア反省史観」)」でしょうし、朝日の社説もそれに則っているものですが、これこそメディアが戦後に作り上げたイメージであり、「戦時下に活動した編集者にとって、「[メディアの]抵抗戦への[軍部による]弾圧は、もし存在しなければ[戦後]創作する必要さえあった物語である」(p.94)という指摘は重要です。「メディアは戦争を望んでいた(る)」とまでは言い切れませんが、確かとあるメディアの創始者が言ったという、「メディアは事件を報道するのではない、事件を作るのだ」という言葉の意味を、マスコミ関係者はもう一度考えて欲しいものです。