二分論

中国のとくに知識人が繰り返し主張するのが二分論、つまり、「先の戦争は日本の一部の軍国主義者が引き起こしたもので、一般国民はその犠牲者だ」というものです。人民共和国建国早々彼らはこう考えていて、というか、ここに落としどころを見つけだしたわけです。一昨日・昨日のNHKの討論番組でも、中国人ゲストは何度もこの見解を繰り返しておりました。


しかし、「一般日本国民」からすると、この図式は、なんかこう違和感が残る。理由としては、


1.一部の人たちにのみ責任を負わせるのは卑怯だ。
2.おれたちゃそんなにバカでもカラッポでもない。


1は、やっぱりありますよねこういうの。「日本的美徳」かは知りませんが、まあ連帯責任的な価値観。2は、「私たちは軍国主義者たちのいいなりになっておりました。愚かでした」とカミングアウトするのが嫌。「いやいや俺たち別に言いなりじゃなかったよ。自分たちの判断で、戦争に突き進んだんだ」と、自分たちの自主性を強調する。


これは左右問わず見られる見解でしょう。これが今、さまざまな点で、日本を縛っているわけです。



話は変わりますが、中国の知識人、というか朱建栄さんあたりの、「自分の国を過小評価したがる」のって、不思議な光景ですよね。昨日の討論会でも、日本側が盛んに「中国の急成長」を強調するのに対し、朱氏は「いやいや中国はまだまだ貧しいです」と火消しに躍起になる、みたいな光景がなんとも奇妙に映りました。なんで自分の国に自信持たないんだろう、というか、自信持っていると思わせたがらないんだろう。これが一部でいわれているように、「中国共産党の意向を汲んだもの」なのかは分かりませんが、そう思わせるに足るものはあります。