オレにパワーを!

昨日のNHKの「靖国特番」を見て。


中国人ゲスト(確か社科院教授)が、「日本は謝りつづけるのではなく、戦争に対する異論(「日本は悪くなかった」等の)を排除し、そういうのが出ないようにしろ」と事も無げに言っていたのが印象的でした。それを見て、ようやく分かりました。


その通り! つまり、左派的な思想を実行するには、強いパワーが必要なんです。民主制なんてダメなんです。「言論の自由」なんてのをノンキに気にしていたら、100万年たっても自分たちの思想を実現させることなど不可能なんです。「靖国バンザイ」などと叫ぶ輩を握りつぶせる権力を握らなければ、いくら騒いでもムダなんです。


靖国問題についていえば、例えば去年高橋哲哉靖国問題』なんて本が評判になって、僕も読みましたが、正直著者が強調する論理とやらにはまったく共感できませんでした。まあしかしそういう理屈もありかな、とは思うのですが、一番の欺瞞は、著者があくまでも「自由な言論」によって自らの主張を成し遂げる、と再三繰り返していることです。

これは一見良識的に見えて、実はたんなる欺瞞です。「言論の自由」をあくまでも最優先するのだとすれば、「靖国派」(政治家にしろ一般市民にしろ)を黙らせることなど絶対に不可能です。教育? 教育によって「靖国派」を黙らせることが不可能なのは、今現在の状況がすでに証明しております。もし、さらなる徹底的な「反靖国教育」を実行するとすれば、それにはまさに、今よりもずっとずっと強いパワーが必要になります。


id:kechackさんがここで「[戦争をしないことで平和を実現しようという]消極的平和主義というのは……[平和を乱す勢力を叩いて平和を実現しようとする]積極的平和主義よりよほど強いパワーが必要」であると書いているように、平和にはパワーが必要なんです。靖国問題で勝利することにターゲットを絞っても、その実現には、中国共産党程度の(言論統制の)パワーは必要なんです。いくら集会やデモをやっても(それがまったくムダだとはいえないにしろ)、それで目的が達成される可能性は、ゼロです。ことここに至っては。


もし仲間内で傷を舐め合うことが目的なら、まあ今のままでいいのかもしれません。共産党にしろ社民党にしろ、さすがに議席は下げ止まりだし、市民運動的なものも、その参加者がゼロになるということはないでしょう。しかし、本当に左派が自らの主張を実現したければ、「オレにパワーをくれ」と堂々と言うべきです。そうでないなら、「民主的」に選ばれた今の/次の首相の靖国参拝に「民主的な観点から」ケチをつけるという矛盾を、永遠に繰り返すだけです。


「日本国民全員に、強制的に、中韓に謝らせる」パワーをオレにくれ!と言え!!


もちろん、堂々と言ったら目立つので、陰で息を潜ませて、羊の皮をかぶって、そのうち一気にテr……あ、いやいや。



しかしその「靖国特番」では、毛里和子先生の、「南京事件で何人が死んだとか、そういう共同研究をやっても、お互いが傷つくだけ」とか「私は日中関係の明るい未来をイメージできない」とか、この悲観的な見方が、なんとも印象的でした。いや、「良識的」な人なら、そう思うのが普通だと思いますよ。と偉そうに。