寛容ねえ……

昨日は、東アジア共同体論者として有名な谷口誠氏の講演会に行って来ました。田舎にいると、こういうのは貴重な機会です。


以前、「東アジア共同体というのは耳障りの悪い……」と書きました。推進論者は「3国の信頼感が大事」とかいうけど、そもそも日中韓に信頼感なんかねーよ、という反発でした。


とはいえ、昨日の話を聞くに、少なくとも彼は、「信頼感→共同体」ではなく、「共同体→信頼感」という方向で考えているようでした。つまり、やや強引にまとめると、「共同体を作ってしまえば、信頼感は醸成される」と。


これだけ聞くとなんとも強引な、オヨヨな感じです。まるで、金持ちの青年を見つけて「とにかく結婚しなさい!!愛なんて、結婚したらいくらでも付いてくるものよ!!」と、いやがる娘をけしかける母親、という、今見ている韓国ドラマのような展開です。


とはいえ、実際に話を聞くと、なんとなく説得されてくるのが不思議なところです。あの穏やかな語り口もあるのでしょう。「外交官って、こういう人がなるんだろうな」と思えるような、上品な方でありました。


とはいえ、やはり「あれれ」と思わせるところもあります。昨日配られた、『中央公論』2006-4「危機的アジア外交をいかに立て直すか」の一節。

私はアジアにはアジアに根ざした、「アジア的価値観」があってもよいと考えている。アジアには多様な文化、政治、宗教、経済が混在している。それがため、他の文化、宗教に対し寛容である。このような寛容性、許容性と中庸、自助努力、自然との共生といったものが「アジア的価値観」を形作っているのではないだろうか。
【中略】
日本の文化、言語、思想、生活習慣、食べ物、日常のマナーなど、現在の日本人の生活一般を見れば、日本人はまぎれもなくアジア人である。
【中略】
日本人はアジアの多様性を生かし、「アジア的価値観」を基盤とした「東アジア共同体」の構築を目指すべきである。それはEUよりもゆるやかで寛容な、アジアの土壌にあったものになるであろう。


まさに「創られた伝統・東アジア共同体版」といったところでしょうか。「寛容」がキーワードのようですが、それって本当にそうか? 中国人・韓国人・日本人って寛容か? 
「寛容」は数値化できないので「違う」とは言い切れないかもしれませんが、こういう曖昧なキーワードで一体感を作り上げるのって、ナショナリストの十八番だと思っていたのですが。

まあ本人も、「「アジア的価値観」があってもよいと考えている」といっているので、(少なくとも今のところは)そんなものない、というのは想定内なのかもしれませんが。


最近マイブームの「東アジア共同体」についてはまたいつか。