コピペ

 今日の『高知新聞』には(多分共同通信配信の)佐藤俊樹さんの論考が載っていて、なかなか頷けました。テーマは、まあ、「ネタ化する社会」とでも名付けられましょうか。


 僕も昔から疑問だったんですが、いわゆるネットウヨの方々、彼らはどう考えても、いわゆる「愛国心」を持っているようには見えない。「つくる会」的な方々とは、明らかに異質なのです。たんに楽しんでいるだけ。


 彼らには、ちょっと過激ですが、しばらく前に2chで流れたこのコピペが、図星なんじゃないでしょうか。僕はこれを見て、思わず笑ってしまいました。

ニートや引篭もり達は、なぜ最近はやりの「ネットウヨク」になりやすいのか?

第一に、右寄りの言動により、自分を強く見せることができるからだ。

ニート・引篭もりは、言うまでもなく社会的経済的弱者である。
だが、右寄りの言動を採ることにより、いかにも現実的で、強い考え方の
持ち主であると周囲に思わせることができるのである。
平和・人権・民主主義を口にしては、いかにも「夢見る少女」的な、
軟弱なロマンチストという烙印を押されてしまいがちということもあるのだろう。

第二に、国家や社会に尽くしているように思わせることができるからだ。

ニート・引篭もりは、国家や社会にとってはお荷物であり、
国益や公益の追求には役立たない者達である。
しかし、個人よりも国益・公益を優先させる右寄りの言動を採ることで、
いかにも国家・社会に尽くしているように装うのである。
国家としても、国益・公益を優先する思想の持ち主なら、ニート・引篭もりと
言えども、おろそかにはできない。ネットウヨクとなることは、ニート・引篭もり
にとっては、自己防衛の手段なのであり、彼らなりの知恵なのである。

第三に、ニート・引篭もりにとって、国家は手軽な帰属先であるからだ。

ニート・引篭もりは、会社や学校に所属していないので、会社・学校等に
帰属意識を求めることができない。家庭はあるが、ニート・引篭もりは、
家族から疎(うと)んじられており、家庭に帰属意識を求めることも無理だ。
しかし、何もない彼らにも国籍はある。とりあえず国民なのである。
従って、心の拠り所を求め、帰属意識を持つとすれば、国家しか彼らには
残されていないのである。言わば国家は彼らにとっての駆け込み寺だ。

ニート・引篭もりは、今は資産のある親に寄生して生活していられるが、
彼らが税金泥棒呼ばわりする生活保護者に、いずれ自分がなって、
社会から税金泥棒呼ばわりされる立場となるのだろう。


ニート云々はともかく、なかなか秀逸です。