教える/教わる

 今日から韓国語の勉強会に参加しています。


 理由は、もちろん「韓国語をマスターしたい」「そして韓国ドラマを、いつかは字幕無しで見れるようになりたい」というのが一番ですが、それ以外にも、「教わる側の気持ちを思い出す」というのがあります(不純な動機かも知れませんが)。


 今僕は、基本的には「教える側」に立っているのですが、それが続くと、「教わる側」がどういう気分なのか、僕の授業をどういう風に聞いているのか、に想像が回らなくなってしまうんじゃないか、と恐れています。もちろん、僕の授業を学生がどう聞いているかを僕自身が追体験することは出来ません。でも、想像は出来る。で、それを基に、「やっぱこういうおしえかたはマズイかな」とか「このあたりは学生にどう説明したら分かるかな」とか、あれこれ考えるわけです。


 もちろん、その効果がどのくらいなのかは、分かりません。でも、そのへんも想像せずに自分のいいたいことだけをしゃべりまくるような授業だけは、したくないと思っています。