ブログの辺境で、理想論をポツリとつぶやいてみます。

 昨日も引用した本田ブログ、まあさんざんな叩かれようです。

 攻撃の矛先を「就活サイト」に向けるのはおかしい、ということでは、もう弁解の余地はなさそうです。なんか半端な平等論を掲げているあたりも、ちょっとなあ、と思います。


 しかし、議論がそこから派生して、「学歴(学校)差別はおかしくない」「企業からすれば当然のこと」とかいう話になってきて、しかもそれを、大学の先生が(マクロ経済なる視点で)論じているのを見ると、ええっ、そんな簡単に「ロードス島」を跳んじゃっていいの? 差別って、そんなに軽いものだったの? と、突っ込みたくなります。

 
 とはいえ、経済学のイロハも知らずしかもヘタレな僕、TBも打たずにここでボソボソつぶやいてみます。


 差別って、語るとしたらあくまで結果で、しかもコソーリ語るものじゃないんですかね。結果的に、大企業には有名大学出身者が多い、あるいは、肉体労働者には低学歴が多い*1、とか。まあこれは、一朝一夕にはどうにもなるものではありません。でも、それに何か本質を付与してそれを正当化する、「だって、無名大学のやつらって、バカだから」とか、そういうのって、少なくとも表では、やってはいけないことじゃなかったの?(いや、ブログが表かどうかは微妙なところですが。でも、大学の先生が、ねえ)


 だって、もし学歴(大学)差別を正当化して、「有名大学の方が、優秀な人材は割合として多いから、それは当然」とか言っちゃったら、たとえばアメリカで、「白人の方が黒人に比べて優秀な人材は多いから、企業が白人だけをスクリーニングするのは当然」という理屈も、成り立っちゃうんじゃないですかね?

 「うん、成り立つよ」といわれれば、それはもう何も言うことはありませんが。


 世の中にあるすべての差別をなくすというのは、ほぼ不可能なことなんでしょう。でも、差別はやはり悪いことで、なるべく差別のない社会になるよう努力する、というのも、理想論としては正しいものだと思っていました(そりゃウラに回れば、大人の世界にはいろいろある、のでしょうが)。しかし、「大学差別?いいじゃん、当然じゃん」と、大学の先生が語ってしまうのを見ると、「へールビコン川って、こんなに狭かったんだ」と、なんとも複雑な気分になるのでした。

*1:「肉体労働者がなぜダメなんだ? お前が肉体労働者を卑しいものと思っているんじゃないか? 差別はお前の心の中にあるんじゃないか?」という最近よく見かける突っ込みについてはまた今度。