まあまとめると、愛国心教育、一見、飲み屋での酔っぱらいオヤジのタワゴトと同レベルに見えながら、実はそう単純なものでもない、下手に突っ込むと、結局天に唾する結果にもなりうる、と思うのです。
だから、このあたりの突っ込みは、心情レベルではなく、丹念に、少しずつ、やっていくしかないのでは、と思います。
敵国言語を教えている者の一人としての感想。
ところで、気のせいか、いわゆる「ネットウヨ」系の人たちのブログでも、今回の愛国心教育を擁護するものって、お目にかかっていないような気が。
さすがの彼らも、擁護する気にはなれない、ということなんでしょうか。