余裕のない社会

 なんか、新書にでもありそうな題ですが。

 最近、よゆーねーよなー。

 と思うことがしばしば。とくに学校(というか、僕の生活圏がほとんど学校だからですが)。


 以前は、とくに大学なんて、完全なモラトリアム、授業もロクに出ず、家でぶらぶらしたり部室に溜まってあーでもないこーでもないと話し込んだり、それでも4年でなんとか卒業して。「大学の授業が役に立つ」とか、そんなのどーでもいい話だったように思います。


 それが、最近は、ちょっとでも学校に来なくなった学生には教師や事務員が電話して、あるいは実家に電話して、なんとか「正規」の道に戻してやろうとしたり……

 あるいは、「きちんと就職できるために、武器を身につける」的な発想で、「役に立つ」勉強を追求したり……


 いや、これらは、まったく正論です。ぐうの音も出ません。


 ただねえ……


 「何もしない時期」「(一見)なんの役にも立たない時期」も、それなりには大事だと思うのですよ。あるいはせめて、「そういう時期が必要な人間もいる」とか。

 だって、「自分にどんな勉強が必要か/必要でないか」「自分の夢を実現するためには、どうすればいいか」なんて、そーんな、まるで自分の人生を雲の上から俯瞰するような、そんな視線、子供に、というか大人にも、持てるわけないじゃないですか。


 「そんなぐーたれ理屈をぶつくさいう人間が少しでもいなくなり、子供の時から自分の人生設計ができるように、小学校から教育しなければならない」と返されれば、ふたたび、ぐうの音も出ないですけどね。