中国のナショナリズム

 今、中国でそこそこ騒がれているのが、「アメリカに不法滞在していた中国人が、妊娠していたのだが、アメリカ移民局に強制送還され、その途中で流産してしまった」というニュース。「決まりとはいえ、あまりにも人権を無視しているんじゃないか」という抗議の声があがっています。
http://www.ycwb.com/gb/content/2006-02/12/content_1067854.htm

 この、「アメリカ移民局の行為は、問題だ」ということについては、問題ないんです。日本でも、どこかの国の小学生?を、卒業間近に強制送還したことがありましたが、こういう行為に反対の声を挙げるのは、もっともなことです。

 ただ、やや釈然としないのは、この出来事を、中国メディア(≒国)が一緒になって大騒ぎし、盛り上げていることです。えっ?こういう「法の隙間」の出来事に、国家が介入するって、どうなの?


 中国人のナショナル・アイデンティティ形成って、マイナス方向からのものなんじゃないんでしょうか。つまり、アメリカだったら、「オレたちゃ強いんだ」というのがナショナリズムの核にあります。しかし中国人の場合、「オレたちゃ弱いんだ、だから周りの国から苛められているんだ」というのが、アイデンティティの触媒になっているんじゃないか。

 実はこれは前から思っていて、例えば中国映画(かなり広くとって)のモチーフにも、「外国人から苛められ、蔑まれる中国人」というのが非常に多い。挙げていくときりがないですけど、典型的には、ブルース・リー「怒りの鉄拳」とか。
 中華思想的に語られると、中国人はいかにも「オレたちゃ強いんだ」と威張っているように思えますが、少なくとも、20世紀以降は、「オレたちゃ苛められているんだ」というのが、彼らの思考に通底しているのでは、と思うのです。


 で、今回のことも、本来は完全に「民」の範囲です、普通に考えれば。しかしそこに、「公」が介入してくる。「公に弾き出された民」の思いを、「公」が体よく回収してしまい、「苛められっ子」物語を作り上げて、それをナショナリズムの触媒にしてしまう、という、イヤラシイ意図が透けて見えてしまうのです。

 まあなので、日本(のウヨク)が中国を叩けば叩くほど、彼らのナショナリズムは強固になっていく、という図式です。

 
 ナショナリズムといえばこれ。ちょっと昔の話ですが、最近(今井さんのブログ関連で)再び騒がれ始めているイラク人質事件に関して。

まず、日本国民が人質バッシングをするのは、その性質上、ある程度は仕方がないとも言える。物心ついたときから世間の中で「自分を抑えて」生きているため、いわゆる「自分勝手な者」が得をする(税金をかけてもらえる)ことには我慢がならないのだ。

異なるべきだったのは、首相なり政府なりの対応のほうである。もしもあのとき、たとえば小泉首相が、のちにパウエル氏が語ったのと同じ言葉で、国民に語りかけていたらどうだったか。

さすがに自衛隊反対を唱える人質たちの行動を「誇りに思う」のは無理だろう。しかし「その人の思想信条などにかかわらず、日本国政府は海外でトラブルに遭った国民の救出に全力を尽くす。それが日本国のパスポートを持つということだ」とか何とか言って、国内の異様な(そして下品な)バッシングを抑えていたら、それってもう最高だったんじゃないだろうか。

実際には、政府は自ら人質バッシングを扇動し、おかげで他国の要人による「至極もっともな日本人批判」が全世界に配信されて、日本は恥を晒すこととなった。だが、それが「なぜ恥なのか」は、この国ではあまり理解されていない。

http://moon.ap.teacup.com/bluebird/238.html#readmore

まさにそう!政府がこういう言動をとっていれば、いろんな点で「うまく収まっていた」と思うのですがね。つまり、「反政府側」の立場の人たちは、「自分たちは政府から苛められている、迫害されている」というのがアイデンティティの核にあるわけですから、「自分が否定しているはずの政府から、無条件の愛で救出された」ということになると、自分たちの存立基盤が揺るがせられるのです。

 それでいくと、「中国人を、無条件の愛で包む」ことこそが、やはり中国人のナショナリズムを無効化する特効薬、なのかもしれません。