教師の権威とライブドア

 僕はこれまで、授業の時、渾身の力を込めて準備していったギャグが、ウケたためしがありません。

 かと思うと、意外なところで笑われます。ビデオを見せようと思ったらビデオがうまく作動せず焦っている時とか、言い間違えをした時とか。以前、「ヤフー」を「ヤホー」と言い間違えた時が、一番ウケました。

 やっぱ自然体が一番なのか、たんにおいらのギャグセンスがないのか。どっちもでしょう。


 で、教師なのですが、とくに大学教師にウケのいい、親和性のある大学改革(?)は、「企業が、採用の時大学の成績を重視するようにする」とか、「学部卒より修士卒を、修士卒より博士卒を重視するようにする」とかいうものです。

 まあたしかに。僕も、「こうなればなあ」という欲求は、隠し切れません。自分の存在意義・存在価値が上がるわけですから。

 ただ、これ「だけ」だとしたら、儚い夢に終わるだろう、ということも確か。


 相変わらずライブドア問題はさっぱり分かりませんが、ただたぶん、ああいう会社は、自分たちの会社の価値・可能性、あるいは、IT産業自体の価値・可能性を、対外向けには、実体(そもそも実体などあるのか、というのはおいといて)の何倍も、何十倍も、膨らませて、吹聴していたんであろう、ということは直感的に分かります。本人たちが、その価値・可能性を、本当に信じていたのかどうかはともかく。で、その根拠レスな、何十倍にも膨れあがった価値・可能性を元手に、カネを集めていた、というのが実際のところだったんじゃないですかね。

 なんか、「企業が、採用の時大学の成績を重視するようにする」系の「改革」も、どうもそれと同じニオイがしてしまうんですよね。「実体」を議論せずに、象徴的な価値だけを上げようとする。「企業が、社会が、大学教育の価値を認めればいいんだよ」って。で、じゃあその価値っていうと、「え、あ、いや、モノを調べる力とか、それをまとめる能力とか……」と、途端にしどろもどろになるのが現実だと思います。
 もちろん、「教育には、言葉では言えないような価値がある」といういい方もできなくはないかもしれませんが、ただまあ、やっぱり、価値に伴った「実体」も高める、あるいはせめて「何が価値なのか」を議論するようにはしないと、今まで通りのやり方で、「社会も、企業も、大学教育の価値を分かっとらん。プンプン」みたいなこと言ってては、先はないでしょう。少なくとも、「そこに入ること、それ自体が価値である」、東大とか京大とか、その辺以外では。


 僕も、ギャグともども、そっちの方も、いろいろ考えてみることにします。


 小谷野さんも言っているように、ここにきて玄田有史叩きというかバッシングが強烈になってきております。「諸君」なんかを見ても。

 なんか、あんまりいい気分はしませんね。昨日の話じゃないけど、「あんたらの真の敵は、そんなとこじゃないだろ!」と思うのですがね。


【追加1】
つまりは、ライブドアに代表されるIT企業(というまとめでいいのかな)と、教育機関には、実は根本的な差はないんじゃないか、と思うんですよね。どっちも「モノ」というよりは(広〜い意味でとれば、モノに入るかもしれませんが)、イメージなり、「価値」なりを、ウリにするという点で。ライブドアの価値や「時価総額」なんて、幻想だったとよく言われますが、それでいえば、「大学教育が年50万100万もの価値があるだなんて、幻想だった」とは十分言えるわけです。
ただ違いは、ライブドアは「虚妄の時価総額」を作り出すためにそれこそ額に汗して働いたのに、学校って、昔からそういう(教育にはそのぐらいの価値がある、という)「幻想」が(なぜか)信じられてきたために、額に汗する必要がなかった、ということぐらいかしら。

【追加2】
昨日、高校に出前授業に行ってきました。高校なんて、自分がいた時依頼、十数年ぶり。

……なんつーか。なんじゃこの閉塞感は。

やっぱ学校って、大学ぐらいにゆる〜い環境が、いいんじゃないですかね。「適当に休む権利」というか、「単位を落とさない程度に授業を受けたり勉強したりすればいい環境」というか。その中であれこれ考えればいいんであって。ギチギチに詰まった環境の中で「ほらいろいろ選択肢があるでしょ?」といわれても、ねえ。
大学もいつまでもつかわかりませんが。担任制とか、休みが多くなったら親に電話とか、そういうふうにすすんでおり、しかもそれがサービス向上だ、とか言われていますので。


「読まねば本」。
Christopher A. Reed, Gutenberg in Shanghai, University of Hawai'i Press, 2004

しかしこの手の「出版資本主義」論で、樽本御大の著書が引用されていないのは、致命的なことに思えるのですが、まあたんに日本語が読めないんでしょう。あれ、中訳されてなかったっけ?

 でもこうして見るとやっぱ、日本語で論文や著書を発表するだけではダメなのね。とは言っても、日本ですら存在を知られていないおいらがいきなり英語圏はおろか、漢語圏に飛べるわけもなく……ブツブツ。

 著者はOSUの人だそうで。あそこって、フットボールやバスケも強いとこなんですよね。