ちょいワル

 もうすっかり昔の話になってしまった「中国の反日デモ」ですが、それに関する論考で一番頷けたのは、中国史研究の大家である尾形勇先生のものでした。

 [1989の「六四」に比べ−sean注]最近の「抗日愛国」を叫ぶ若者には少しも共感を覚えない。もはや時代遅れなのかもしれないが、体制や権力や権威とは直接対決せず、誰かが用意したとも猜疑できる無防備な「仮想敵」を相手にするのみの、卑怯な暴動としか見えてこないからである。(『中国の歴史12 日本にとって中国とは何か』講談社、2005、15頁)

 そうそうそう。僕がこのデモに感じた違和感もそこでした。日本なんて所詮は「ちょいワルオヤジ」なんですよ。お前らの本当の敵は、そこじゃねえだろぉ!!という。

 しかしまあそれでいうと、僕が偉そうに朝日新聞とかを批判したのも、同じような行為でしたね。どうも僕には、朝日に代表される日本の左派が、味方を増やそうとしているとは思えない、むしろ減らそう減らそうとしているようにすら見える、お前らはなんてアホなんだ。朝日さえ変われば、いや、朝日がなくなれば、日本はよくなる!!


 まあしかしそんなことはありません。朝日も所詮はちょいワルオヤジです。そんなのを叩いて悦に入っていたおいらが浅はかでした。ちょっと反省。


 反省ついでに、真の「ちょいワルオヤジ」を目指して、髪の色をちょっと変えてみました。これで学生にもモテモテ。のはず。


 今日朝のラジオで、「郵政民営化なんて、例えそれが大失敗に終わったとしても、どうせ小泉や竹中は、そのころにはもう隠居したりトンズラしたりして、責任なんか取りはしないさ」とか言っていました。たしかに。

 で、それを踏まえて、こういう政策って、それが成功なのか失敗なのか、なかなか判断が難しいものがあります。

 例えばバブル崩壊以降、政府はあれやこれやといろんな政策を実行してきたのですが(「なんら手を打たなかった」という説もあるでしょうが、それはそれで、「何も手を打たない」という政策、ととることも出来ますし)、その結果「こんなに悪化してしまった」なのか、「この程度ですんでいる」なのか、それを高次の視点で判断するのは、ちょっと難しいんじゃないでしょうか(経済学者ですら意見が分かれているわけですから)。

 まあ人生もそんなもんです。「あの時、ああしていれば……」とこれまで悩んだことのない人はいないでしょうが、当然ながら、それを実証するのは不可能です。なので、僕は意識的に、「あの時、ああしていれば……」は封印しています。難しいですけど。