中間派

 こないだ読んだ本。小倉紀蔵歴史認識を乗り越える』。相変わらずアフィリエイト(以下略

 言っていること。「戦争で日本は中韓にたいへん悪いことをした。しかし、今現在のさまざまな状況を見ると、中韓のほうが問題の多い国家である。ゆえに、日本は率先して、中韓を日本の状況に近づけるべく努力すべきである」。

 こんな当たり前のことを、なんで今まで誰も言わなかった(言えなかった)のでしょうか。「日本は戦争で悪いことをした」、これはいくら聖戦だアジアの独立だと取り繕ったところで、拭い去れるものではありません。しかし一方で、「しかし…」以下も、どう考えてもこれは事実です。韓国はまだしも、中国が、国家として、日本より問題のない国であるなどとどの口が言えましょうか。もちろん言うまでもなく、日本という国家は完璧なものではありません。「民主」にしろ「(報道の)自由」にしろ、なにやら雲行きが怪しくなっているのも事実でしょう。しかし、「だから中国に偉そうに説教垂れる資格など無い」というのは違うでしょう。「完璧な大人」などいないからといって、「大人に子供を叱る資格など無い」ということにはならないのと一緒です。

 にもかかわらず、上の本書の内容、日本ではますます二者択一を迫られるようになってきています。つまり、前半に重点を置くなら「だから中韓にもの申すなどけしからん」となるし、後半に置くと「だからあの戦争は悪くなかったんだ」となる。中間派の身の置き所がないのです。

 「中間派」というのはよく日和見主義だなんだと左右両方から批判される傾向にあります。しかし、本当は「中間派」がいっぱいいてこそ、左右両派の論争も実りあるものになると思うんですよね。今のように「右じゃなければ、左だ」みたいに踏み絵を踏まされる状況は、本当に勘弁してほしいものです。

 ちなみに本書、ある偉い先生のブログによれば、儒教云々のところは「なかったこと」にするのがよいのだそうです。ふ〜ん。まあ、儒教ド素人かつあまり興味のない僕は、その部分は見事に読み飛ばしましたけど。