出世

 企業に勤めているなら、「出世」というものが持つ意味は割と明確です。企業内で係長→課長→部長→専務と駆け上がるか、あるいはどこかの時点で一気に独立、ということも考えられます。

 役所でも似たようなものでしょうし(「独立」はないとしても)、小中高の教員でも、もし出世を狙う人は校長から教育委員会へ、という道筋があったりします。

 でも大学教員の場合、出世ってなんなんでしょうね。一般の人たちは「講師→助教授→教授が出世じゃん」とか、「学部長や学長になるのが出世じゃん」とお思いかもしれません。でも、別にそうでもないんですよね。よくテレビドラマで教授−助教授の関係を「上司と部下」のように描いてあるものがありますが、あるいは、分野によっては、そういうところがあるのも確からしいですが、少なくとも人文系では、そういう関係はありません(仮にあっても少ないと思います)。教授も助教授も独立した存在で、教授が助教授に「キミこれやっておいてくれたまえ」みたいなのは、普通はありません(あっても、それはあくまでも教授と助教授の個人的な関係によるものだと思います)。

 また、学部長や学長も、普通は選挙で決まるので、いわゆる「出世」ではないと思います。とくに学部長なんかは、なり手がなくて押し付け合い、というところも少なくなさそうですし。また、大学教員に「独立」なんてのはほとんど無意味です(もしかしたら、自分で塾とか開いちゃう人がいるかもしれませんが)。

 そんな感じで、いわゆる「出世レース」みたいなのとはかなり無縁な世界なので、大学教員に「世俗に恬淡とした人」、あるいは「競争の嫌いな人」が多いのも無理はないのかもしれません。僕も、競争は本当に苦手っす。ビリならビリでいいもん。