よい社会

 昨日「シルクロード」を見ていたら、西安の再開発をやっていて、行政が住民に「20日以内に出ていけ」と一方的に通達を出し、住民も「仕方がない」「失業だよ」といいながら随う、みたいなのをやっていました。そして最後にナレーションで「中国ではこういう決定も非常に早く迅速に行われます」みたいに好意的なコメントが流れたもんですから、「おいおい、そういう問題じゃねえだろ」とテレビに向かって突っ込んでしまいました。

 しかし、あれこれ考えると、よく分からなくなってきました。もしかすると、中国的行政システム、上からのお達しですべてが決まり、話し合う余地なし、みたいなのって、実は「良いシステム」なのかもしれない。

 ここんとここだわってきた選挙、何度も言うように中国では行われていないわけですが、でもじゃあそれが行われている日本や欧米と比べて、中国の国民は不幸なのか、と問うと「?」です。なんだかんだいって、中国人は総体的に豊かになってきている。これはもう、疑う余地のないことです。「中国にも貧しい人々が……」とか「貧富の差が……」とかもちろん反論はあるでしょうが、しかし貧しい人も貧富の差も、西側にだってあるでしょう。「民主主義的だから、貧富の差はない」なんていうことはありません。
(むろん、これは歴史的に見れば逆で、列強の資本主義(貧富の差の固まり)のアンチテーゼという形で社会主義国が生まれたわけですから、本来社会主義国に貧富の差があっては存在意義に関わるのですが、そのあたりはもう(対内的にも、対外的にも)どうでもよくなってきているようです)

 「一党独裁」にはどうしても「一部の特権階級と、大多数の貧しい者たち」というイメージがつきまとってきました。しかし中国はどうか?もちろん特権階級は存在しますが、しかし以前も書いたように、「中産階級」「ホワイトカラー」も、中国では順調に育ってきています。一般市民がマイカーを買えるだなんて、10年前には考えられなかったことです。しかも「買える階層」が広がってきている。バブルだなんだというのをすべて棚上げすれば、これを「中国型政治の成功」といってマズい理由はほとんどありません。

 2ヶ月ぐらい前のエントリで紹介したように、中国の知識人が「選挙をやるやらないなんて、たいした問題じゃない」と大見得を切るのにも、まったく理由のないことではない、のかもしれません。

 最近「監視社会」「監獄社会」とかいう見出しの記事や本が多いですが、それらの分析対象は多くが日本かアメリカで、「監視社会の本場」の中国を分析したものはほとんどなく、不満に思っておりました。しかし、「中国は監視社会」というのを前提にした上で、「それで何が悪い?」と(中国人に)開き直られたら、どうするんでしょう。

 これまた最近、「東アジア共同体」的な構想がよく議論されていて、僕もかなりの程度それには乗るし、また否が応でもそうなっていく、とも思うのですが、その場合、EU的なものにするなら、「東アジア共同体議員を」という話になるかもしれないし、また日本でも一部で進められている「(定住)外国人に参政権を」ということになるかもしれません。しかしその時、中国とはどのあたりまで折り合いを付けられるのか。日本にいる中国人には選挙権を与え、中国の日本人には選挙権がない(というより選挙自体がない)、というのはアリなのか(もちろん、アリだ、という選択しもあるでしょうが)。中国が民主化へと軟着陸するようにし向けるのが日本の課題なのか(だとするとそれは最高級に困難な課題になりそうです。北朝鮮を軟着陸させるよりもずっと)、あるいはそれとも、そもそも日本(や韓国)が中国の一党独裁に飲み込まれるほうが、「経済発展」という意味では都合がいいのか。

 そんなことを考えていたら、いつの間にかシルクロードは終わっていました。