自己決定

 前に、「白い巨塔」を見ていた時。最後財前は、結局「患者の意志」を尊重しなかったということで告発されます。
 しかし、(もしかしたらもうこの問題は十分語り尽くされているのかもしれませんが)あれって、本当に財前は「悪いことをした」んですかねえ。彼だって、理由はどうあれ、患者を殺そうと思って手術をしたわけではなく、あくまで助ける手段として手術を選んだ。一方患者は手術を拒んだわけですが、それは別に医学的な根拠があったわけではなく、あくまでも「個人的な感情」からです。

 別に「個人的な感情」に意味がないというわけではないのですが、しかしそういう場合、つまり「専門家」は専門的な見地からAと言い、「素人」は「個人的な感情」からBと言った場合、どっちが優先されるんでしょうか。

 こんなことを思ようになったのは、キムリッカ『現代政治理論』を読んでからです。現代社会は、なんとなく「本人の意思」が最優先される傾向にある。「本人のやりたいようにやる/させる」のが一番だ、と。でも、もし、「客観的」に見てその選択が間違っている、と言う場合。はたしてどうするのが一番いいのか。

 例えば、「私は自分の意志で学校には行かない」と子供が言い張った場合。あるいは、どう考えてもそこまでの才能がないのに、本人がプロを目指して頑張っているような場合(プロデビューを目指すアーティストとか)。その場合、「本人がやりたいんだから、そうしたいんだから」と放っておくのがいいのか、それとも「いや、絶対に学校だけは行け」「お前には才能がないからもうやめて普通に勉強しろ/働け」と強制するのがいいのか。

 昨日も話題にした「選挙」って、このうち「本人の選択を最優先する」に当たると思うのですよね。昨日は「選挙バンザイ」で書きましたが、ただ、選挙によって、どう考えてもおかしい、と思う結果が出たりすることもあるわけです。でも選挙の場合、「本人の選択」が何よりも優先される。その結果死んでしまったとしても、それはしょうがない。

 いったいどっちがいいんでしょう。