中国嫌いの中国研究

 ちょっと前に妻のブログで「中国が好きか嫌いか」について触れていて、仕事であれば「嫌いだけど仕方なしに」という言い訳も立つかと思いますが、研究となると、ロコツに「好きでもないものを研究していて、どうなるの?」と言われたりして対処に困ります。まあこれには、音楽研究者の増田さんがよく使う(彼もこういう攻撃によく遭っていて困っているんだそうで)「じゃあアルミニウムの研究者は、アルミニウムが大好きなのか/大好きじゃなくちゃダメなのか?」というので十分対処可能だとは思いますし、また中国研究が「中国大好き人間」たちだけによって進められると、文革期みたいに「中国礼賛モノ」だけで占められる、みたいな状況にもなりかねないので、「中国嫌いの中国研究者」というのは一定程度は必要だと思います。

 僕は中国が好きかどうかというと……ちょっと保留。


 ところで、昨日の続きですが、教師というのは、基本的に「知ったかぶり」が多い。いや、実際に、一般人の平均よりは知識量が多い人が多い、のは確かかも知れませんが、しかしそれ以上に「一般人よりも物事を知っている、と思い込んでいる/思わせたがる」人種が多いのは、これは確かでしょう。もちろん、「人に教える」ことを商売にしているわけですから、ある程度は仕方ないにしても、しかし中には、この「メールの書き方を教えてやる」先生のように、よく知らないことまで「知っている」と言い張ったり、あるいは、自分の知らないことを「下らないこと・知らなくてもいいこと」と決めつける人種も多い気がします。「メールだと人間関係が希薄になる」的な、「ケータイを持ったサル」的な物言いをする先生・学者なんてのはその典型ですね。

 知らないことは、知らないと言える勇気を持ちたいものです。